2014年1月1日水曜日

六本木クロッシング2013展(森美術館)

今年の展覧会の見納めは、森美術館の六本木クロッシング2013展。

大晦日ということで、空いてるかな?と思いきや、展望台目当てか、意外に多くの人出。中には、家族連れで、小さい子を肩車しながら、会場を巡る人もいた。

素直に、現代アートを鑑賞する人が増えた、と信じたい。

3年に一度開催される六本木クロッシング。今年は、森美術館が開館して10周年。東日本大震災後に初めて行われるということで、かなり気合いが入っていて、しかも、”福島”に関連する作品が多かった。

テーマは、アウト・オブ・ダウト(疑念から)。そこにも、そうした状況がよく現れている。


サイモン・フジワラの、岩について考える。コンクリートで作られた岩の表面に、人の手のひらの形が、ペンキで縁取りされている。

世界中に残されている、古代人の壁画に残されている同様のイメージを思い起こさせる作品。

フジワラは、この岩を使って、福岡の太宰府天満宮でパフォーマンスを行い、その制作過程の映像も紹介されていた。


丹羽良徳の展示コーナーは赤一色。この赤は、勿論、共産党のアカを意味している。

丹羽は、この写真にもあるように、日本共産党に、カール・マルクスの写真を掲げるように、依頼したという。丹羽は1982年生まれ。彼の世代にとっては、カール・マルクスという存在は、プラスのイメージのようだ。

長い景気後退。そして福島の原発事故。現代の世代にとって、マルクスは、純粋に、過去の偉大な思想家の一人なのだろう。


新井卓の作品は、この展覧会の中で、私が一番楽しめた作品。Here and There - 明日の島。

震災後の福島の様子を、ダゲレオタイプ、という古い技術で撮影した写真と、戦後間もない時期の原爆実験のせいで被爆した、第五福竜丸にまつわる写真を、合わせて展示した。


現代の写真だが、まるで、遠い昔の風景のように見える。福島を、なかったこととして、忘れ去ろうとしている一部の人々を強烈に皮肉った作品。

しかし、その一方で、こうした写真がある限りは、決して忘れないとも言っているように見える。

写真というメディアの、そして、それを使ったアートの力を、あらためて実感した。


今年の夏、瀬戸内海の直島を訪れた。

柳幸典の犬島を始めとする、瀬戸内海の島々のプロジェクトの資料展示は、その旅をしばし思い出させた。


アート作品等よりは、建築のプロジェクト資料のようだ。


左側の20世紀の旧発電所が、右側の21世紀の芸術の発電所になるというコンセプトが書かれている。

実に単純で、素朴なアイデアが、実現されると、多くの人の心に、何かを残す作品になる。


オーストラリア生まれの高坂正人の作品。高坂は、幼い時は、ミュージシャンを目指していたという。

社会派の作品が多い中、こうした作品は、純粋に、何かを作ることの楽しさを思い出させてくれる。


遠藤一郎の。未来へ丸。


近寄ってみると、いろいろな人々の未来の夢が、短冊のようにぶら下げられている。

おそらくは、夢を描くということが、アートの原点であるのだろう。


奥村雄樹は、1960年代に活躍した高橋尚愛の、かつて実施された展覧会を写真で再現し、歴史を超えて、それを追体験する、という面白い企画。

高橋尚愛の作品そのものを展示するのではなく、それを撮影した写真を展示するというのがミソ。写真であるということで、それが、以前に起こったことであるということを、見る人は意識させられる。


突然、企業のショールームのような展示スペースが現れて戸惑う。笹本晃の耳の奥という作品。


流井幸治のソウル・コレクター(上流社会)。ポスターをくしゃくしゃにして、人の体を連想させる、木の棒のオブジェにぶら下げている。うすっぺらな上流社会を皮肉っているのか?と思ったが、作者によれば、日本のアニミズムの考え方を取り入れた作品とのこと。


菅木志雄の関連空。1960年代に登場した”もの派”を代表するアーティストが、今年2013年に制作した作品。

宗教的な、荘厳な雰囲気さえ感じさせる。遠方に見える、東京の姿も、初めからそうであったように、いとも簡単に、その作品の中に取り込んでしまう。


会場の最後に、この展覧会を象徴するような、プロジェクトFUKUSHIMA!の展示。

ご覧の通り、この展覧会のほとんどの作品は、撮影が可能。しかし、赤瀬川原平など、一部のアーティストの作品は撮影が不可。

本人の意思というよりは、いろいろな関係者が絡んでいるせいで、そうなっているのだろうが、興ざめ感は拭えない。

撮影を拒否するということは、何かを守っているということだ。しかし、何かを守っているアートからは、世界を変える力など、生まれては来ないだろう。

2013年12月28日土曜日

路上から世界を変えていく(東京都写真美術館)

今回で、12回目となる、東京都写真美術館での新進作家の作品展。

大森克己。ピンク色の球体を、わざとカメラと風景の間に入れて撮影している。風景は、震災の年に福島県で撮影したものが多い。

目ヤニがついた時に、風景がこんなふうに見えることがある。勿論、ピンク色には見えないが。

林ナツミ。いろいろな場所で、自分が浮遊している写真で一躍有名となった。

壁いっぱいに広がる、ほぼ等身大の林の浮遊写真。圧倒的な存在感を誇っていた。

糸崎公朗。何枚かの写真をつなぎ合わせて作品を構成する。町を歩く人と、その路上にいる虫を、それらの写真でつなぎ合わせる。

他に、家の写真を四方から撮影し、その写真を切り取って、立体的に組み立てた作品など。

鍛冶谷直記。歓楽街や、裏通りなどを撮影した写真。

津田隆志。「あなたがテントを張れそうだと思う場所」を人々に尋ねて、その場所を撮影した不思議な作品など。

5人の作家は、いずれも、写真というメディアに、内部や外部を問わず、ひと工夫を加えて、独自の世界を作り上げようとしていた。

高谷史郎 明るい部屋(東京都写真美術館)

芸術監督、映像作家として活躍する高谷史郎の、美術館における初めてとなる古典。

東京都写真美術館の地下1階の展示室は、アートの展覧会場というよりは、実験室のような、あるいは、デザイン会社の整然としたオフィスのようだった。

明るい部屋とは、哲学者のロラン・バルトによって1980年に書かれた写真論の題名。フランス語では、Camera Lucida。カメラとは違うが、画像を映し出す光学装置のこと。

会場の真ん中のテーブルに、そのCamera Lucidaを再現したものが展示されている。写真集が広げられており、その写真が、Camera Lucidaによって、小さなスクリーンに映し出されている。

その周囲の壁には、高谷の写真作品と、東京都写真美術館が収蔵する他の写真家の作品が、別々に展示されている。

高谷は、2008年に、明るい部屋という題名で、舞台上のパフォーマンス作品を発表した。舞台上に、カメラの内部でおこっていることを再現する、というのが、そのパフォーマンスのテーマだったという。

会場では、そのパフォーマンスの映像が、抜粋版で公開されていた。

映像作品として、他に、膨大な数のデジタル写真を、高速に次々と映し出す、frost frame。ハイビジョンの映像を、8つの画面に投影した、Toposcamが展示されていた。

海辺の岩場を映した映像が、画像処理されたストライプ上の映像に、右端から徐々に浸食されていく。

この展覧会は、まるで、高谷の頭の中の一部を、そのまま取り出してきたような、そんな印象を持った。

展示されている高谷の写真作品は、いずれも、1987年に撮影されたもの。その中に、雲を移したものがあった。

なぜだか、その雲の映像が、心に残っている。

2013年12月23日月曜日

かたちとシュミレーション 北代省三の写真と実験(川崎市岡本太郎美術館)

川崎市の生田緑地、鬱蒼と広がる森の奥にある、川崎市岡本太郎美術館。

そこで開催された、北代省三の企画展。

北代省三のことは、以前に見た、実験工房についての展覧会で知った。

北代は、1950年代には、絵画やモビール、舞台美術などの、いろいろなジャンルの作品に取り組んでいたが、1960年代以降は、写真を中心に活動するようになっていった。

初期の写真は、一見するとありふれた風景ばかりだが、構図にこだわり、幾何学的な造形を追求している。写真を始めたばかりの人が、はまりそうなパターンで、親近感を感じる。

そして、何よりも、そうした写真を、楽しみながら撮影している北代の顔が、思い浮かぶようだ。

やがて、雑誌の表紙などの写真が多くなり、いろいろなカメラを使った、実験的な作品を撮るようになった。

エンジニア出身であったという北代の、技術に対する興味が、そのまま作品に表れている。

北代の工房を撮影した写真が展示されていた。若い時と晩年の時のものだが、その風景はほとんど変わらない。それは、芸術家の工房というよりは、小さな町工場のように見える。

晩年には、子供の頃に憧れていたという飛行機に取り組むようになり、自ら模型を作って飛ばしたり、模型飛行機入門、という書物を書いたりした。

会場に、年老いて、模型の飛行機を手にし、満面の笑顔で、写真に収まる北代の姿があった。

子供がそのまま大人になった、という言葉があるが、北代は、その言葉が文字通り当てはまる人物だったようだ。

2013年12月22日日曜日

ジョセフ・クーデルカ展(東京国立近代美術館)

アジアでは、初めてとなる、クーデルカの本格的な回顧展。

チェコスロバキアなど、ヨーロッパ各地に暮らすジプシーたちの村に入り込んで、その生活の様子を映し出したジプシーズ。

亡くなった親族を取り囲んで、悲しみを共有している女性のジプシーたち。

警察に捉えられ、手に手錠を嵌められ、村人たちに送られながら連行されようとしている、若者。

小さな子供たちが、床に直接座りながら、集まって食事を取っている様子など。

そうしたジプシーたちの写真が並べれた細い回廊の反対側の壁には、チェコの劇場の様子を撮影した、劇場というシリーズが展示されている。

逃れようのない、ジプシーたちの現実の世界と、作り事を演じている架空の世界。その対比が興味深い。

プラハの春以降、国を追われ、ヨーロッパ各国を巡り撮影された、エクザイルズ。

1970年代、1980年代のヨーロッパ、アイルランド、イタリア、スペイン、フランスなどのヨーロッパの国々の様子が撮影されている。

そこに写されている風景は、いずれも、まるで近代化以前のヨーロッパのように見える。クーデルカは、現代においても、そうした極限の風景を見つけだす独特の感覚を持っているように思える。

クーデルカの名前を一躍有名にした、プラハの春の様子を撮影した、侵攻というシリーズ。

そこには、ソ連軍の侵攻に対して、街に繰り出し、戦車に対した、一般の人々の姿が映されている。その表情は、決して、作られた、虚構のものではない。リアルそのもの。それらの写真は、とても芸術とは呼べない。それらは、文字通りの記録だ。

1980年代以降取り組んでいるという、パノラマ形式のカオスというシリーズ。

それまで、一貫して人間を取り続けてきたクーデルカが、このシリーズでは、崩壊した古代の遺跡や、人が住まなくなった大規模な建物、などを撮影している。

しかし、そこには、人の気配がある。

クーデルカの作品は、いずれも、人間の極限状態をテーマにしているが、ジプシーの悲惨な状況を写した写真においても、何故か、洗練されたもの、高貴なもの、を感じる。

それこそが、クーデルカの、写真家としての本質なのかもしれない。

2013年12月15日日曜日

名品選2013 印象派と世紀末美術(三菱一号館美術館)

東京、丸の内にある、三菱一号館美術館でのコレクション展。

パンフレットには、ルノワールやモネなどのメジャーな先品の、鮮やかな絵画の作品が並んでいるが、この展覧では、リトグラフの作品が印象に残った。

ルドンの、『夜』と『夢想』というリトグラフ集。ノワール、といわれる、幻想的なイメージの数々。

人間の首が、気球に乗って飛んでいたり、人間のような表情をした昆虫のような不思議な生き物など、ルドンの独特の世界が展開されている。

この美術館には、グランブーケといわれる、ルドンの巨大な絵画がある。文字通り、巨大な花のブーケの絵だが、この絵は、とても静物画と呼ぶことはできない。

そこに描かれている花が、とてもこの世の花とは思えない。花という生き物が持っている神秘性、オカルト性が、見事に表現されている。

ヴァロットンがパリの街の様子を描いたリトグラフ集『息づく街パリ』。街を行き交う人々の何気無い表情が、ユーモラスな表現で描かれている。文字通り、パリの浮世絵といった趣き。

モーリス・ドニのアムールというリトグラフ集。パステルカラーで、恋人の様々なシーンが、ドニ特有の平面的で、装飾的な絵で描かれる。

ドニが婚約者のマルトをモデルに、自分たちの関係をそのまま描いたような作品。これほど美しい作品には、そうめったには、お目にかかれない。

吉岡徳仁ークリスタライズ(東京都現代美術館)

改装された、パリのオルセー美術館に、ガラスのベンチ、Walter Blockが展示されていることで一躍名前がポピュラーになった、吉岡徳仁。

会場の入り口には、クリスタライズ、という展覧会のテーマをイメージした、クリスタルを想像させる、不思議な細いストローのようなものが、うず高く積み重なり、会場を覆っている。

その不思議なオブジェに導かれるように、来場者は、吉岡の世界に引き込まれて行く。

水槽の中で、自然に成長する結晶をそのまま絵画作品とした、白鳥の湖。チャイコフスキーの音楽を聴かせながら、その結晶の絵画は、生み出されて行ったという。

アンリ・マチスのロザリオ礼拝堂に感銘を受けて製作された、虹の教会。吹き抜けの空間に設置され、圧倒的な存在界を誇る。

500個のクリスタルプリズムでできているステンドグラスは、室内に、その瞬間にしか現れない、虹の世界を作り出す。

自然の蜂の巣の構造は、ハニカム構造といわれ、軽くて高い強度を保つ。そこにヒントを得て紙だけで作られた、ハニーポップという椅子。勿論、人が座ることもできる。

吉岡の作品は、結晶、光など、いずれも自然の中にある構造などをヒントにしている。

現代という時代が、失いかけていて、しかも求められているものが、そこに表現されているように思えた。